本書『修験道という生き方』は哲学者の内山氏と住職の宮城、田中氏による鼎談本であり、タイトルのとおり修験道がテーマである。おおまかな構成としては始めに内山氏による修験道の変遷や仏教や道教とのかかわりが解説として綴られており、それ以降は鼎談での会話の内容が具体的に記載されている。
本書を読むまでは、修験道といえば、白装束でほら貝を持つ山伏のイメージぐらいしかなかったが、本書によって修験道そのものに関する知識やその思想にふれることができた。
そもそも修験道は様々な宗教が混ざり合って今の形になっているということを私は知らなかった。もともと日本には自然信仰があったのだが、そこに仏教や道教が伝来するとこれらが混ざり合って現在の修験道の基となる考え方ができる。そのため、修験道は仏神混合なのである。この既にあるものと海外から伝わってきたものを混ぜてよい塩梅にしてしまうというのは如何にも日本らしいと思う。
仏教と修験道の違いに注目すると輪廻観が異なる。仏教における輪廻は死後において人間や他のものに生まれ変わるという考え方であるが、修験道においては死後ではなく、絶えず生まれ変わる、今この瞬間に生まれ変わるという考え方である。
修験道の「今この瞬間に生まれ変わる」という輪廻観は、人はいつでも変わることができるというある種の励ましのメッセージのように私は感じた。自分を変えようと思い行動を起こす人の背中を押してくれる素敵な思想であると思うし、この思想を知ることができただけでも本書を読んだ価値があったと思う。
また、仏教においては現在世と未来世を救うが、修験道では過去を過ぎ去ったものではなく、現在の基盤になっていると考えるため過去世も救うという違いもある。個人的には仏教が過去世を救ってくれないというのは意外であった。
修験道と他の宗教との違いとして他に印象的だったのが、修験道には教本がないという点である。例えばキリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがあるが、修験道にはこういった教本にあたるものが存在しない。
では、どうするのかというと山に入ることで感じ取るのである。修験道は理論を教える信仰ではなく、感じ取っていく信仰なのだ。
山や川、海などの自然に近づいたり眺めていたりすると、上手く言葉にできないのだが落ち着くというかエモーショナルな感情を抱いてしまうのは私だけではないだろう。修験道を意識しなくても無意識のうちにこうした感覚が得られるのだから、自然信仰や修験道が成立するのも個人的には非常にわかる気がするのだ。
最近行の体験として入山を希望する人が増えているという。山に入り自然の中を歩きながら自分自身と向き合う体験が、SNSに代表されるような情報過多でノイズの多い現代に求められているということなのだろう。
本書を読むことで修験道に関する知識や考え方を知ることができ、自分の知らなかった世界の一部がまた一つ見えたような気がした。また、自然に触れた時に感じる上手く表現できないもののルーツに触れられたような気がする。行を体験しないにせよ、定期的に自然に触れる機会を設けようと思わされる作品だった。
最後までお読みいただきありがとうございました。あなたに素敵な本との出会いがありますように。
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