本書『安心社会から信頼社会へー日本型システムの行方』は社会心理学者の山岸俊男氏によって書かれた作品だ。本書はタイトルのとおり、日本における社会システムに関する考察を”安心“や”信頼“といったキーワードを中心に展開している。
本書の特徴的な点としては、考察をするにあたり数多くの社会心理学やゲーム理論の観点を活かした実験を行い、まとめているという点である。その結果の中にはなかなか興味深いものが多く、ページをめくるたびに発見があった。
日本や日本人のイメージを挙げろと言われた場合、「集団主義」であるというイメージを持つ人は多いのではなかろうか。そして、この手のイメージは欧米人は「個人主義」であるというイメージと対比されて語られる。
アメリカ人と日本人に対して実験を行い、集団的行動をする人の割合を調査した結果が本書には登場する。その結果はアメリカ人の方が日本人よりも明らかに集団的行動をする人の割合が多いというものであった。
しかし、この実験にある要素を加えると日本人も集団的行動をする人の割合が急激に増える。その要素が「相互監視」だ。つまり、日本人はお互いに監視し合うような状況となると集団的に振る舞うようになるが、その監視がなくなったとたんに個人的な振る舞いをするようになるのだ。
「ムラ社会」や「村八分」という言葉が存在しているように、他者を完全に信頼するのではなく、お互いに監視するようなシステムがあるからこそ、日本人は集団的な行動をとる。これが日本が安心をベースにした安心社会である背景だ。
こうした特定のコミュニティのみに在籍し、相互監視するような安心社会においては取引費用は減る。しかし、同じコミュニティにばかり在籍していると、機会費用が増えるという副作用がある。
この話を髪を切る例で考えてみる。普段の通っている床屋さんがあったとする。この店に行くことは店主とは顔なじみであることや通いなれていることもあり、非常に安心感がある。また、指示も「いつも通りで」の一言で済む。これが安心社会で取引費用が非常に抑えられている状況だ。
一方で、他に髪を切るところを探してみると、もっと値段が安い床屋さんが見つかるかもしれないし、よりおしゃれな髪形にしてくれる美容室が見つかるかもしれない。つまり、なじみの床屋さんに通うことは余分な機会費用を払っている可能性があるということだ。
しかし、当然ではあるが、新しく発見した美容室に行ってみたとしても「いつも通りで」の一言で済ますことはできない。これは取引費用の増加を意味する。このように取引費用が減ると機会費用が増え、取引費用が増えると機会費用が減るという関係性が本書では述べられている。この観点は今までの自分にはなかったこともあり、非常に面白い話だと思った。
他にも日本社会のシステムについて論じるために、「他人を信頼しやすい人は騙されやすいか」や「人間関係性を見抜くのが上手い人はどういったタイプの人か」といった実験結果について報告されており、いずれの話題も非常に興味深かった。
本書が出版されたのは1999年で本記事執筆時の20年前である。現代において、「信用経済」といった言葉が登場し、安心や信頼、信用といったテーマについて考えさせられる機会が増えていることもあり、もしかすると本書で述べられている内容は当たり前に思う人がいるのかもしれない。
しかし、そう感じたとすれば、本書での指摘が現在の潮流に合致しているということだ。そういった意味で本書は現代社会の状況を予言した予言の書なのかもしれない。興味を持たれた方はぜひ20年前に書かれた本であるということを頭の片隅に入れて読んでみて欲しい。
最後までお読みいただきありがとうございました。皆さんに素敵な本との出会いがありますように。
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